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About Vicky Vee ビッキー・ヴィー(ヴィクトリア):

プロフェッショナル レコーディング・アーティスト/シンガー、
作詞作曲家、プロデューサー、テレビタレント、
ラジオDJ/パーソナリティー、TVコマーシャル、TVドラマ女優、
モデル、実業家として、
エンターテイメントの全カテゴリーを網羅する人物です。

米オハイオ州シンシナティー市出身であり、
日本とハワイとDCエリアのそれぞれの拠点を行き来しながら仕事をしています。

ヴィッキーはオハイオ州シンシナティー市のThe 1st. Miss Black Teenage Americaを獲得し、
更には、Miss Dream Girl Winner にも輝きました。
目を見張るような輝かしい日々は、遠い若かりし中学生時代から始まり、
特にペイト氏に感謝すべく、当時の年間ベストミュージッシャンにも選ばれました。
またこれらの輝かしい音楽経歴のスタートを応援してくださった方々に
感謝しなければいけません。
その中で特に彼女を鼓舞させた二人こそ、Terry Brown と LA Reid でした。

ヴィッキーは、2つのCD作品を日本でメジャーリリースしました。
一つは、Avex Traxからのメジャーリリースで、「Vocaland 2」- "We all need Love" であり、
もう一つは、BMG Fun House Recordsから全日本でのソロデビューCDとして、
「Y2k/Save The World」があります。
その他のメジャーでの仕事としては、
Sony, Polydor and Mercury Records などからCDとしてリリースされております。

しかしながら、記念すべき彼女のファーストリリースは、
故郷のアメリカでの事であり、 Fraternity Records からのことでした。
タイトルは、Larry and Vickie / "How I Wish" (You Were Here) - Fraternity No.3406 -です。
Kent Washburn によってプロデュースされましたが、バックを手伝ってくれたのは、
かの、LA Reid がドラムス、Deele の Kayo がベースでした。

このころ彼女は、たくさんのテレビやラジオのショーでもてはやされ、
更には、Offブロードウェイでも活躍しました。
Offブロードウェイでの舞台演技デビューは、
ワース・ガードナー氏の助けによるシンシナティー・プレイハウスでの事でした。
Little Shop Of Horrors への彼女の感謝は絶えません。
彼女の思いの中では、いつもこのようにささやいております。
「私は、故郷での彼らとの全ての仕事の記憶を私の思いの中に永遠に暖めていたいと思います。
なぜなら、彼らこそが、今日の私を一人の独立した大人の女性へと導いてくださったからです」。

そのような過程を経て、私は今日本でも、やはり歌手として働いております。
次のアルバムリリースの準備も着々と進められております。
また、彼女は、与えられた音楽の賜物を存分に用いて、
次の世代に対しての教育の現場にても教鞭をふるっており、
自分の経験上の音楽を通してそうする事によって結果的に、
その全ての活動の動機となりうる「神の愛」を、世代と国境を越えて大きく広めているのです。

日本での生活を振り返って彼女は言います。
「日本においては、この国はたくさんの良い物を私に与えて下さった事の多忙を思うと、
次のステップを見定める良い機会を得るための
少しの休憩の時間も必要であると考えたりもします。

故国から離れたこの国にて、まさか音楽教師になるとは思いにもよらない事でしたが、
何らかの目的によって備えてくださった神様の企てなのだと信じております。
かつてここに住まわせて頂けるようになってから、
何故ここに住んでいるのかなどと一度たりとも疑問に思う必要がなかったのは、
私の必要な全てを神様がご存知であると言う事を信じて来たからです。
それにしても長過ぎたかもしれません。
しかし、この国に滞在させて頂けた事により、私は健康であり、
全てにおいて満ち足りる事を実感させて頂いております。」

と本人が語るように、ヴィッキー・ヴィーは、FM NorthWave のレギュラーDJとして起用され、
更にFM Apple、また、数多くのテレビ番組に出演して活躍することによって、
日本における確固たる位置付けを確立してきました。

よって彼女の思いにはいつもこうあるのです。
「私を祝福してくださった全能の神に感謝します」と。

一方、本国アメリカにおいては、
多くのメジャーアーティスト達との競演経験に恵まれ、常にワクワクさせられる毎日でした。
LA・リードベビーフェイス、ブーツィー・コリンズ、ミコ・ウェイブ、ディール、
トラブルファンク、マルコルム・マクローレン、ジェフ・ベック、スティービー・ワンダー、
BBキング、ジャーメイン・ジャクソン、シリータ・ライト、ジョージ・クリントン、
ジェネラル・クローク、レジー・キャロウェイ、ジャメイン・ジャクソン、
などなど、その他大勢で列挙不可能なくらいです。
それもこれも、この間、偉大なプロデューサーが彼女のキャリアーを助けたと言える事でしょう。
その名は、かの、ビル・ワーラーとして知られる、Mr. William Waller Jr. です。
彼こそ、彼女の生涯において感謝を忘れる事ができない存在でしょう。

そして日本においては、もう一人の偉大なマネージャーに恵まれる事になりました。
その名は、小口輝明氏です。
未知の日本において彼女は、思いもよらない彼女の想像を超えた偉業の数々を
彼と共にこなしてゆく事になりました。

また他に、非常に魅力的なシャラマーのジェフリー・ダニエルズとの出会いによる仕事の数々も
彼女にとって心ときめくもので、彼女の日本滞在のモチベーションを常に
高揚させる大きな要因であったようです。

そして、日本では既に有名な音楽家である角松敏生氏との仕事も大きな喜びであった事でしょう。
その他、ジョー山中、マルタ、坂本リュウタ、小曽根誠、Q石川、
本田竹広、マイケル富岡、陽気な99ですとか、数えきれません。

私は人生で不可能な事はない事を、あなたと共に味わい、知りたいのです。
「私たちが真に望み信じるなら、それは与えられる」と言う事を。

忘れてはならないのは、ある人は機運と言うかもしれませんが、私たちの側に準備があれば、
その前には、必ずかけがいのない「機会」が置かれているのです。

もしも私たちが創造主の意思や目的に即してその案内に従うなら、
世界中が愛・喜び・平和の義の実に満たされる事でしょう。

であるからこそ、私たちができる最善の事は、
それぞれが、神からの愛の価値観を生活の第一にし、
世界中の兄弟姉妹と心から「愛」を与え合い、「愛」を分かち合う事です。

そうです、私たちそれぞれを愛してくれる人が、必ずどこかに存在するのです。

私たちの創造主がまず最初にいつも私たちを一方的に愛して下さっております。
であれば、私たちはどうすべきなのか?

私ヴィッキーヴィーは、ここであなたにお会いできた事が
心からの敬意とともに本当にうれしく思うのです。

Respectfully Yours
Vicky Vee

Vicky Vee (McWhorter)

ヴィッキーの最初のテレビドラマ出演は、WCPO局の"Marcy"と言う子供向け番組でした。
(5回の連続出演)

彼女はまた、WLWT局の"Bob Braun 50 50 Club"と言う番組にもにゲスト出演し、
WCINのTOP20チャートの2位を記録した、"How I Wish You Were Here" を歌いました。
このヒット曲は、なんと、今日に至ってもアメリカのどこかで流れています。

彼女は、最初の "Miss Black teenage America" のオハイオ州代表として選ばれ、
写真にもあるように、リチャード・ラウンドツリー氏からキスと共にクラウンを獲得し、
また当時の市長セオドア・ベリー氏からは、「市の鍵」を渡されました。

その他、ミス・ドリームガールや、ミス・ポジティブにも推薦され、高い得票を受け、
更には、シンシナティーで開催された、ダイアナ・ロスのそっくり賞も獲得しました。

ヴィッキーはまた、格式高い音楽ホールでのクラリネット奏者として、
シンシナティ交響楽団に特別参加する機会も得ました。

大企業であるP&G (Proctor & Gamble)のために制作された全国版テレビ・ラジオに
彼女の出演したコマーシャルが数えきれない程たくさんあります。
最も長く用いられている物は、キーブラークッキー、ブロックバスター・ビデオ、
そして、パンティーライナー用のコマーシャルです。

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